全てが先生。

ヨガでは、先生と呼ばれる人たちだけが先生ではなくて、全てが先生(グル)だという教えがあります。

両親や友人、知人、先輩などなどの周りの人たちような、月並みな「先生」だけでなく、自分にいろんなことを教えてくれる、新しい目線をくれるのなら、苦手だって思う誰かだったり、幼い子供だって、ふと遭遇した知らない人なども先生となり得るのです。

出会った誰か、その誰かは決して好きになれない人かもしれないけれど、その人のおかげで新しい自分が見えたりということもよくあること。

それも何も、人間じゃなくても動物だって、植物だって、山だって、木々だって、モノも先生となり得ます。

そして、形がない、人生で起こる苦難、苦境、怪我や病気、一見つらくて避けたくなるような出来事が特に、よい先生となり得ると説きます。

確かに、つらいこと、悲しいことなど、マイナスなことが学びと、新しい目線をもらえますよね。ラクでのほほんと苦労がないと、学ぶこともないですしね。(だから、体が硬い方がヨガをすると得るものが多いんです→体が硬いからこそヨガ!参照ください)

とにかく、今まである一方向の角度からしか見えてなかったことが、自分の人生にふと、起こった何かのおかげで、新しい角度からものごとが見れるようになったという経験は誰でもあるはず。

ヨガをしていると、確かに体の不調は減りますが、ゼロになるなんてことはないです。そうではなく、ヨガは、体の不調や、人生で起こるマイナスだと思えてしまうことを、目線を変えて、いかに自分を快適に楽にしていくかを学ぶこと。その練習がヨガなんです。

ヨガをするから全てがハッピー!、心が落ち着くというのは、自分の心の持ちようが変わる、いえ、努力して変えるからです。周りが変わるんじゃなくて、自分が捉え方を変えるのです。

かくいう私の人生も、ホント、なんだかんだ色々あって、ありすぎて、そのおかげでたくさんの色んな視点がもらえました。というか、今でも現在進行形です。一見つらいと思えてしまうようなこともジャンジャンあり放題で、新しい視点を日々、もらい続けてます^^;

色んな病気や体の不調も経験したけど&してるけど、そのおかげで食べ物のことをもっと深く知りたくなったり、よく考えるようになったし、体のあちこちに痛みが出たら、その痛みがいつも私に気づくべき何かを教えてくれるんです。

どういう姿勢がいいのか、体をどう使えばいいのか、不摂生を続けたからこうなった、あれを食べ続けた、飲み続けたからこうなった、はたまた自分の内面の頑なさが体の不調を招いているのか・・・というように、体の不調は色々なことに気づくきっかけなので、チャレンジ精神旺盛な私は、そういう一見、大変そうな境遇になると凹みたい気分を方向転換し、これをどうポジティブに捉えようか!とやる気を溢れさせようと努力します。

そりゃ、努力要りますよ。凹みたくもなりますよ。たやすくはないけど、自分の不調でこうした方が良い、こういう目線だとちょっと楽になれる!ということを発見すれば、それをうちのスクールに来てくださる皆さんにもシェアすることができるので、それもプラスなことですしね!

目線を変えれば、身を持って、体を張って色々な経験させてもらってます!

当たり前のことができるありがたさ、小さな幸せをしっかり味わうことの大切さなどなども、身にしみて感じます。

自分の体が悲鳴をあげているのも、これまで自分がしてきた選択のせい。

「わかっちゃいるけど、ま、いいか」と、延々と続けてきたことの、結果がただ現れているだけ。自分で責任取るしかない。

もちろん、とても自分の選択とは思えない、つらい出来事も不意にたくさん起こります。でも、それでも、ドーンッて落ちてしまいそうになる自分の向きを、必死で変えてプラスの方へ進んで行く練習と捉えるしかない。進んでいくしかない。行くしかないなら、明るくプラスに捉える方が楽ラク、楽♪

同じ山登りでも、つらいつらい!と恨みつらみ並べて不平不満タラタラで、体のきつさに集中して頂上を目指すより、つらくても、好きな歌を歌って、周りの景色の美しさ、足元の花々や葉っぱや美味しい空気などに集中して、明るく頂上を目指す方がいいのではないかと、自分に言い聞かせて、日々練習中。

全てがチャレンジ。一つ一つをカタツムリのスピードでもいいから、大事にクリアしていく。

今でも、毎日、人生、色んなことが起こっているけれど、全てをプラスに捉える練習だと決めて、日々生きてます。

一生続く、練習だ、これは。



自然の英語工房

佐賀・金立の心地よい自然の中で、英会話教室、ヨガ教室、アート教室、カフェイベントを開催。 2000年からワクワクを伝え続け、開校17年目。